新着情報

令和の時代、空気に拘束されないための小という選択
2019.05.01

20190501新着.jpg

令和元年。現在も決定権者であることの多い「空気」について、あらためて考えています。

このところ、「多様性」「個」「チーム」という言葉を目にする機会が増えました(テクノロジーは置いておきます)。結論からいいますと、今後、一定の規模の居心地のいい小さな会社(あるいは小さな会社から派生した小さな会社の集まり)の役割は大きくなっていくような気がしています。会社だけではなく、複業を含めた「個」の組み合わせによるプロジェクトごとの小さなチームも同様です。

自分には、"いまの自分にできること"しかできません。できることを増やせるように工夫したり努力したりしながら、置かれている場所や立場で、それぞれができることをやる(一隅を照らす)。自分にないものは、「社会のここを少しだけよくしたい」という"ここ"で繋がる社内外の仲間からサポートしてもらう。そして、続ける。これは基本です。

基本の前提には多様性があります。一人ひとりが違うことを認識して、違いを受け入れる。集まっていても、ほどいていけば最後は一人。最初から一人。一人ひとりがみんな違う中、仕事については「社会のここを少しだけよくしたい」という"やるべきこと"を共有しておく必要があります。同じゴールに向かって、前に進む。ほかのところ、例えば、焼き鳥のタレ派、塩派は違ってもいいわけです。"同じような"価値観でも、どこかで違いは出てきます(塩派の人は、基本のとおり、ないものを提供しあって塩派の人と"塩のため"の事業もやる。このような複業が理想です)。

事業は、目的と判断基準(適切な打ち手)を見失わなければ、簡単には迷走しません。タレ派か塩派の違いはあっても、ゴールのイメージを共有している小さな会社かチームの場合、"変な空気"ができにくいというメリットがあります。"ここをよくするための行動"になっているか確認しやすく、前に進むのはらくです。機動的でいられます。

最近読んだいくつかの本の中に、『空気の研究』があります。多様性や個を考える新時代の空気とは。昔の本ですが、いま読んでもおもしろい。なかなか言葉にできない「空気」はいまも力を持っています。うまくいかなかったとき、敗因は空気。振り返ると、"空気的にそうせざるを得なかった"という話です(抗空気罪にふれると、軽くても村八分の刑らしいです)。

いま在る顧客、まだ見ぬ顧客には必要のない内部の論理、ヒエラルキー、過去の成功体験。これらが空気を作って人を拘束していることもあります。必要なのは、"よくしたいここプロジェクト"に必要な次の一手。もっというと、「誰のために、何のためにやっているのか」「私たちが存在する理由は何か」というのを問いつづけることです。ちょっとずれても、進むべき道にすぐ戻ることができます。

会社、地域、その他、"空気に拘束されている人"は少なくないと思います。生きづらい。窮屈どころか、苦しいわけです。苦しいのに正解ではない(ゴールからずれていく)。空気が消滅したとき、負け戦の原因を分析するのは難しくありません。空気を読んでだまっていただけであれば、なおのこと。振り返ったときに「これだけの話?」と思った経験はないでしょうか。空気による迷走。だいたいシンプルのようです。

最近、低迷や迷走の原因である空気を変えてしまう人を見る機会が増えました。自分にはない何かを持っている人(「"凡々たる非凡"でそうなった人」というのが重要)。かっこいいです。一方、個性が強調されるいま、気がかりなことがないわけでもありません。竜巻状になってブームへと進化した新たな空気。これからの生き方はこれだと、"なんとなく飛びついている人"も少なくないように感じています。いつかと同じように空気の中に身を置くことになるかもしれません。この意識を持つことは重要です。

例えば「地域活性化の起爆剤として期待」というくり返し。一斉に飛びつく。しばらくすると、「数年前にブームとなったゆるキャラですが......」となっているわけです。これも空気と新しくできた空気。地域活性化の取り組みでも同じようなことはあります。思考停止は危険です。本質を押さえておかないと、これまで同様、流されてしまいます。見失ってしまいます。

空気と新しくできた空気。「ここは共感できるけど、ここはなんだか違うんだよな」という場面が出てくるかれません。一人ひとりの集まり。どこか違っていて当然です。そんなときはとどまるもよし。なんだか違うと感じた"何か"を追求するために、また離れる。一歩踏み出すもよし。分裂でも拘束でもなく、社会をよくするための緩やかな連携というイメージです。

いずれにしても、多様性の中、個と向き合い、成長していくことが求められます(誰かとチームを組もうにも「どこかの誰かが必要としている"何か"がない」ということがある)。その先で「これだ」というのが見えてきたら最高です(「これ」という価値観も変わっていくかもしれません)。グラデーションというのか、"ちょうどいいところ"が増えていく。結果的に、誰かにとっても居心地のいい場所が生まれていれば、なおよし。

一方、よくしたつもりが、誰かにとっては悪くなっている可能性もあります。正直なところ、多様性、さらに進むであろう細分化の先はわかりません。少し後にまったく違うことをいっているかもしれませんが、空気の拘束から解放されるための「小」も悪くないと考えているところです。"一隅を照らす精神"という原点。"いまの自分にできること"を考えながら、前に進みます。

追伸

近くに大学などがあっても、研究は遠い。おもしろい研究は意外と身近にあります。「日本の身土不二」では、地域発の情報を発信してくれるライターさんを募集しています。詳細は、こちらから。

代表取締役 緒方 修